はじめに
みなさんこんにちは!!私は、2005年8月2日から2006年6月26日まで、メキシコ合衆国の南西に位置します、タバスコ州の州都『ビジャエルモサ』というところに交換留学をさせていただきました。
私の希望国は、やはり英語圏内の国ばかりでした。勉強不足だったため他の国に目が全くいってなく、よく聞くカナダ・オーストラリア・アメリカの留学などしか、自分の留学生活の想像がつかなかったのでしょう。しかし、ローテックスのみなさんの話を聞いていくうちに他の国にも興味を持ち始めていました。 そして、派遣国発表の日、『メキシコ』と言われたときの私の状況は、どこにあるの?何語なんだ??と疑問ばかりが頭に浮かびました。希望国と全く違う派遣先だったにもかかわらず、そこには何一つ疑問を持たず落ち込むどころか、すごくワクワクしました。それから、メキシコの事をある程度調べ飛び立ったのです。
メキシコ
メキシコは、日本の約5倍の面積がありながらも、日本の次位の人口です。なので、市外にでると家や店など立ち並んでなく、土と低い木が立ち並んでいるようなところが続きます。
メキシコは“暑い”というイメージがあると思いますが、北部の冬では雪が少しパラつくほど寒くなるそうです。なので、上着は必需品です!!!暑い地域でも、店のなかなどはクーラーですごく寒いですしね!!!私が住んでいたTABASCO州は、メキシコで一番蒸し暑いと有名なところで、真夏には40℃以上を示すほどです。日本に比べたら蒸し暑くないですけど、他の留学生はとても大変みたいでした。 町にはたくさんの木が並んでいて、日陰を作ってくれるという、とても大事な存在です。
メキシコ人はとても陽気な方が多く、みんなすごく温かい人たちです。いつもハグをしてきたり、あいさつはほっぺとぽっぺでキスです。みんなに“日本人にも教えなきゃね”とよく言われました。(笑)
しかし貧富の差もあり、ぽろぽろの服を着て、市街でお菓子などを売っている人、靴磨きをしている人、信号などで止まった車の窓を拭いてチップをもらう人・物を売っている人などがたくさんいます。小さな子供から老人まで様々です。とても考えさせられます。
ホストファミリー
私は、3つのロータリアンのファミリーにお世話になりました。
~第1ホストファミリー~ Toledoファミリー (ママ・姉21・妹16)
8月から11月までの4ヶ月間お世話になりました。
ママは日曜日以外は毎日仕事をしていて、日曜日は大学に通っているというとても忙しいママでした。妹は、8月の終わりからロータリーでベルギーへ派遣しました。約1ヶ月間、毎日一緒にいていろんな所へ連れてってくれ、言葉が全く話せないのに楽しい毎日でした。なので、妹がいなくなってからの私は、悩みがどっと増えた気がします。。。
姉は、4年前に同じくベルギーへ派遣していて、今は大学でフランス語の先生をしていました。しかし、もう結婚をしていて、妹がベルギーへ発った2日後に赤ちゃんを産んだのです!!私はメキシコでおばになりました!!!日本にいるときでさえ間近に赤ちゃんなどいなかったのに、生まれて1日しかたっていない赤ちゃんを見ることができ、とても貴重な体験をしました。今まで姉は夫と夫の実家に住んでいたのですが、その日からうちで住むようになったのです。しかし、私は正直とても居心地が悪かったです。食事の時、まだ会話など全くわからない時期、たびたび私に注目がくると、姉は鬼教師のように私にスペイン語を追及してきました。私はそれをとても恐れてしまっていたのです。朝、晩はほぼ一人で食事をしていたのですが、寂しさなど感じずおびえずにご飯が食べれてうれしかったです。これでは、いけなかったのですが・・・良くお手伝いさんと話しをしていました。この家族は親戚同士とても仲がよく週に3・4回は誰かが食事に来たり、お茶をしにきていました。ママとは、ステイをしていたときは、あんまり話はしなかったけれど、何ヶ月をたってからいろんな話をするようになりました。とても、心が温かいママでした。
~第2ファミリー~ Natalファミリー (パパ・ママ・兄19・妹16・弟12)
12月から3月までの4ヶ月お世話になりました。
この家はとってもお金持ちで、とっても大きな家やゴルフができそうなくらいの庭、プール・池などがありました。しかし、少し町外れに住んでいて、移動は必ず家族の誰かに送り迎えをしてもらいました。
兄は2年前にブラジルに行っていて、妹はポーランドへ派遣していました。この4ヶ月は毎月のようにホストクラブの企画や地区の企画で留学生達と旅行をしていました。ママはとても話好きて、しかも仕事もしていなかったので随分スペイン語が上達したと思います。そして、今思うと一番ママって思えたママでした。しかし、パパは“いつもミナは無口だ・・”と言ったり、何か話しをしていても、 “ミナは理解できないか・・”などと、とても落ち込むようなことをいつも言われ、パパの前では特に無口になってしまいました。弟には、好かれていて良く何かしようと誘ってくれましたが、とても幼い考えをもっていたのでいろいろと大変でした。住みつきのお手伝いさんが何でもやってくれたりと、生活には何一つ不自由しませんでした。毎週日曜日は、家族で出かけていました。
~第3ホストファミリー~ Soniファミリー (パパ・ママ・弟16、15)
最初の1週間と4月から最後までお世話になりました。
メキシコに着いた日から約1週間、第1ファミリーが違う州に居たため、お世話になりました。
第2ファミリーの家と違って、学校からすごく家が近かったり、友達の家が近かったりと、毎日のように友達の家に遊びに行ったり来たりとしていました。しかし、家にいるときは家族全員が自分の部屋にいたり、私がママに用事があるときにママの部屋に行っても、出てきて部屋の外で話たりと、家族の一員のように思えずここにきてホームシックというのを体験しました。一瞬でしたが・・・友達がいたので救われましたが!!!家族とのコミュニケーションは食事の時ぐらいで、この家だけはみんなで食事をするのではなく、好きなときに食べるようになっていました。あとこの家族も毎週日曜日にみんなで食事をしに出かけていました。弟2人とも日本語の教室に通っていて、日本に興味を持っている弟たちで私よりも日本が詳しい気がしました。(笑)パパは、毎日朝早くから遅くまで仕事をしていて、家にいてもずっと部屋にいたり野球をしにいったりと日曜日の外での食事以外は全くかかわっていませんでした。
どの家も自分の部屋を用意してくれ、第2・第3の家では自分の部屋にシャワーとトイレまでついていました。最初に浴槽がないのにビックリしたのですが・・・(笑)
全く違った3つのファミリーでしたが、どれだけ自分の家が居心地いいのかがわかりました。(笑)あと、メキシコのロータリアンのファミリーということで、お手伝いさんがどの家にもいました。なるべき自分のことは自分でやっていましたが、すごくお世話になりました。
メキシコの家族は週に1度はみんなで食事に行くなど、家族の時間を大切にしていました。そして、家族愛をとても感じました。
学 校
大学しかなかったこの学校は2年前から高校が新しくでき、まだ3年生がない新しい私立学校でした。
さすが南米!!1日目からたくさんの友達ができました。クラスの子から始まり、どんどん友達が友達に紹介していくといったように、この学校では一躍有名になったと思います。(笑)しかし、1日でみんなの名前を覚えられるどころか、みんなの顔が同じように見えてしまい大変でした。初めてたくさんの人とふれあったので・・・次の日からは、いろんなところから『MINA!!MINA!!』っと呼ばれ、うれしかったけど、誰が誰だか・・・・(笑)
そして、前期は2年生のクラスで、後期は1年生のクラスに入ったので、本当に幅広い人たちと友達になれました。しかし、私は少し息苦しく思ったときもあります。私が住んでいたところは、日系人が全くいなくみんな興味本意で私に近寄ってくる人がほとんどで、いつも特別扱いされていたように思えてしまいました。そこで、ひと壁作ってしまった自分に少し後悔です。もっと自分をアピールできたらなと今では思っています。でもこの学校は、生徒はもちろん先生方もすごく心の温かい人がたくさんいて、いつも『MINA元気?』と聞いてきてくれる先生もいて、とっても好きな学校です。逆に、いつもバカにしてくる生徒もいましたが・・それはしょうがない!!
ホストクラブ・2400地区
私のホストクラブ『TABASCO RC』は、約20人の女性だけが集まったクラブで、私含めて6人の留学生がいました。毎週木曜日の朝の9時ぐらいに始まります。9時“ぐらい”というのはみんな時間にルーズで何時に始まるのかわからないのです。(笑)これも南米の特徴だと思います。すべてがそうではないですよ!!!私たち留学生は月1回、月の初めの例会に参加し、毎月お小遣いをもらっていました。私のクラブは、メキシコのいろんな行事があるごとにパーティーを開いてくれました。そして、12月と2月に他の州への旅行を企画してくれ、同じクラブの留学生6人と他のクラブの仲の良い留学生を誘っていきました。その旅行先のロータリアンの家にホームステイを2人くらいでし、毎日だいたい留学生みんなでいろんなところに行き、1日中みんなでいることができました。なので、12月の初めての旅行をしたときに、みんなとすっごく仲良くなれました。そして、スペイン語がいっきに上達してきたと思います。
4200地区はメキシコの南西に位置する6つの州が集まってできています。約60人の留学生がいました。しかし、その中でも日本人は一人で、アジア系も始めはいませんでした。2ヶ月に1度くらいで地区の集まりがありました。そして、2回地区での旅行がありました。
1月に2週間の大きな旅行があり、約50人の留学生でメキシコの中央部分をバスで回りました。私はこの旅行をすごく楽しみにしていたのですが、嫌な思い出になってしまいました。
やっと仲の良くなった友達が出来たのですが、みんなその国同士の言葉で話し始めてしまったのです。私はまだ自分のスペイン語に自信が全くなく、自分からいろんなことを切り出すこともできず、みんなが楽しくワイワイしているところを見ていることしかできませんでした。それがトラウマとなり帰ってきてからも、留学生と距離をおくようになってしまいました。
しかし、クラブでの話し合いのときに、私はみんなに思っていることをすべて打ち明けました。そしたら、みんなはちゃんと理解をしてくれました。それから、時には喧嘩もするけれど、言いたいことはみんな言い合えたし、誰かが落ち込んでいるとみんなで助けたりと、一生のうちにこんなに分かち合える友達ができるだろうかというほど、私たちの絆は深くなったと思います。
後輩へのアドバイス
まず、一人で悩まないこと!!!始めは、言葉がわからず言いたいこともいえない時があると思いますが、一人で考えていないで日本にいるあなたを応援している人に頼って下さい。そして、そのうち言葉も話せるようになり、派遣先で必ずあなたを助けてくれる人が現れると思います。
あと、思ったことを伝えましょう!!!これは私にとってとても難しかったことで、何回泣いたことか・・・言わなきゃ伝わりません!!!
そして、存分に楽しんで下さい!!!それが1番です!!!
感 想
メキシコにいた時の自分は、日本にいた時の自分と全く違った自分だったとすごく感じました。始めは、自分の思っていることが言えず、例えば欲しいものはもちろん、自分の自己紹介も危ういなど、赤ちゃん状態でニコニコしていることしかできない自分がいました。最後の方でも、どこに行くにも誰かと一緒に出かけないとママたちは心配していましたし。しっかりしてないように思われたのでしょうか。でも逆に、ただついていけば良いだけだったので楽でしたが・・・(笑)
あと、一番感じたメキシコと日本の違いは、愛情表現の仕方だと思います。例えば、両親は子供を愛していることをしっかり伝えているし、子供たちもそれにこたえ両親をすごく尊敬しているのです。すごく憧れ、見習いたいと思いました。
そして、日本にいたときの生活ではわからなかったことが、この1年でいろんなことに気づかされ、悩まされました。このことで、自分のことがよくわかったし、少し強くなれた気がします。そして、この貴重な体験、出会いを忘れずにしっかり守っていきたいと思います。
最後に、このような貴重な体験をさせてくださった、2770地区の委員会のみなさま、上尾ロータリークラブのみなさま、4200地区のみなさま、TABASCO RCのみなさま、私を支えてくれた方々全ての人に感謝をしています。
ありがとうございました。MUCHAS GRACIAS!!!
06-07 メキシコ派遣 M.N