訪問者数

フィンランド

*ホストファミリー*

第一ホスト

最初のホストファミリーはとても仲の良い家族でした。私が着いた日にもHeikkiの兄弟などが集まってパーティをしてくれました。湖のすぐそばの、とても立派なお家に住んでいて、夏の終わりから秋にかけては、庭のベリーをよく摘んでいました。休日には釣りやピクニックに行き、秋休みにはエストニアへの家族旅行にも一緒に連れて行ってもらいました。まだフィンランド語が全然話せない私に、Heikkiは文法や、フィンランドの歴史をたくさん教えてくれました。Sainiにはフィンランドでよく食べられている、Korvapuusti(コルバプースティ)というシナモンロールや、リンゴタルトなど、いろんなお菓子の作り方を教わりました。Aatuはとてもシャイで最初はあまり口をきいてくれませんでしたが、段々慣れてくるうちにクッションを投げたり、ちょっかいを出すようになり、本当の兄弟のように慕ってくれました。

第二ホスト

第二ホストファミリーへはロータリーのラップランド旅行のあと、12月の半ばに引っ越しました。留学中のSiniとReijaとは手紙やメールのやり取りをしていて、多少の交流がありました。LateとArjaは10月にあった、私の誕生日パーティにも参加してくれました。ラップランドの旅行の時も、冬靴を貸してくれたり、引っ越す前からお世話になっていました。しかし、このホストの家は第一ホストの家から遠く、学校からもとても離れてしまいました。LateもArjaも帰りが遅く、ご飯がない日がほとんどで、衛生的にもあまりいい環境ではなくて、辛い日が続いてしまいました。1ヵ月間お世話になって、別のホストに替わることになりました。

第三ホスト

この家族には特にお世話になりました。1月15日から7月15日まで丸々半年間、äitiとはまるで本当の親子のような関係を築くことができました。フィンランドでは、年上の人でも親しみを込めて名前で呼ぶ風習があると言われたので、先のホストファミリーことは名前で呼んでいましたが、Ailaのことだけは、フィンランド語でお母さんという意味のäitiと呼んでいました。年齢は私のおばあちゃんでもおかしくない年ですが、とにかく若くて、2人でオリエンタルダンス(ベリーダンス)を習ったりもしました。時にはけんかをすることもありました。Penaはいつも無口で少し怖い印象を持っていましたが、第二ホストのことで私が思い悩んでいると聞いて、最初に「由妃を助けに行け」と、いったのはPenaだったと、あとからäitiに聞きました。2人とも、本当に私をかわいがってくれました。

* 学校生活*

フィンランドでの生活で一番不安だったのは、やはり友達のことでした。でも初日からたくさんのクラスメイトの女の子が声をかけてくれて、その日からTessaという子と大親友になりました。ペタヤベシ高校は中学と同じ建物で、生徒が中高あわせても300人ほどしかいない、とても小さな学校です。町の中心部に位置していて、同じ敷地内には図書館、ホールなどもあり、午後からは一般の人もよく来ていました。また、すぐとなりには専門学校があり、お昼になると食堂に専門学校の人たちも来ていました。学校の授業は選択制で、初めのうちはTessaと同じものを取るようにしていました。特に興味のあった授業は写真とドラマの授業でした。写真の授業ではみんなと外へ写真を撮りに出かけたり、写真集を用いて討論したりするのが主でしたが、5、6学期には写真の現像を自分ですることにも挑戦しました。ドラマの授業では『不思議の国のアリス』の劇をやることになり、私はチシャネコ役として参加しました。3回の公演予定でしたが、好評につき2回追加公演を行うほどの大盛況でした。その他にも、中学の宗教の授業に参加して日本文化を紹介したり、小学校に訪問して折り紙や簡単な日本語を教えたりもしました。学校最後の日には、スピーチをし、その年に活動的に行動していた人としてStipendi(賞金)をいただきました。

* ホストロータリークラブ*

ペタヤベシロータリークラブは出来てからまだ10年経っていない、割と新しいクラブでした。留学生自体がまず5年ぶりで、しかもアジアないし日本からの留学生は私が初めてということで、最初は、責任重大だなという思いでした。私が留学しているときの会長Pirjoは女性の方で、とても気さくな人でした。カウンセラーのAnjaは学校の先生で、平日はほとんど会っていました。YEOの役員のEsaもいつも私のことを気にかけてくれていました。例会は毎週水曜日で、たまたま私の誕生日が水曜日だったので、
この日はロータリーで誕生日パーティを催していただきました。4月にはお茶会、7月にはお別れパーティも開いていただきました。

* 国や町の様子*

私の住んでいたペタヤベシは、人口3600人の小さな町で、中心にはスーパー、教会、ガソリンスタンド、学校など必要最低限のものしかありません。町から少しでも離れると、あたりは林か牧草地、湖しかない田舎町です。こんな狭い地域なので、みんながみんなのことを知っているようでした。フィンランドといえばサウナ、サンタさんなどで有名ですが、最近では、教育の面で高い注目を浴びていると思います。実際、フィンランド人の語学力は、世界でもトップレベルのものだと言えると思います。小学3年生から英語を勉強し始め、高学年になるとドイツ語なども選択可能になり、中学からはもうひとつの公用語であるスウェーデン語も勉強し始めます。高校ではフランス語やスペイン語も選択可能になってきます。またフィンランドは、公的施設が整っていることでも知られています。税金は高いですが、小学校から大学までの費用はかからないし、18歳までの子供にはもれなく援助金が支払われています。大学に通う人たちのためにも援助金が出ています。フィンランドでは18歳になると基本的に自立すると考えられていますが、実際にそうできるのは国がそういう状態に整っているからなんだなと感心しました。

* 後輩へ*

フィンランドはとても治安のいい国です。私が住んでいるときも、特に目立った事件はありませんでした。また、日本人にとても友好的で、日本の文化に興味を持っている人がたくさんいます。行く前にはぜひ、むこうの人たちに日本の文化を広められるように少し勉強して行ってください。

* 将来の夢・希望*

やりたいことはたくさんありますが、まだはっきりとした未来像は見えていません。大学では、世界への視野を広げるとともに、日本の文化なども勉強したと思っています。できれば、もう1度フィンランドに行って、もっと専門的にフィンランド語学・文法を身に着けたいとも思っています。また、小さいころから興味のあった手話もいつか勉強したいです。世界のためになることを、人々の役に立つようなことをしたいのですが、なにが自分に出来るのかがまだわからないので、それを少しずつ見つけて行くことを今後の目標としていきたいと思います。

*感想*

この留学で、私は言葉よりも大切なものに気がつきました。11月に地元の小学校へ訪問した時、私はまだフィンランド語がしゃべれませんでした。前日、4時間かけて全児童と先生たちに折鶴を折りました。外人に日本のことを紹介するなんて、めったにないことで、行くことが決まった時は大喜びでした。でも自分はもちろん先生ではないので、当日になると好奇心より不安が勝っていました。案の定、子供たちの言っていることはほとんどわからないし、自分も何を喋ったらいいのかわからず、てんてこ舞いでした。でも先生にヘルプしてもらいながら、一生懸命折り紙を教えようとしました。彼らもそれに答えるように一生懸命折っているのを見て、言葉だけじゃないんだなと感じました。それは子供たちだけに限らず、大人でも私が身振り手振り話をすると、一緒になって身振り手振り話をしていました。1番大事なことは、表情で表すことだったのです。私は前から感情が顔に表れやすいほうでしたが、1年を経て、前にもまして表情が豊かになったと、学校の先生や友達に言われました。この1年間で得たものはすべてかけがえのないもので、私を成長させる大きな要因になったと思います。言語を習得できただけでなく、世界に対する視野も広がりました。これからはもっともっと視野をひろげ、社会の役に立っていきたいです。最後に、私にこのような大きなチャンスを与えてくださった、ロータリーのみなさま、両親、学校の先生方に感謝いたします。本当にありがとうございました。


                       06-07 フィンランド派遣 Y.T